2026.07.01 07:40荒木又衛門の逗留(とうりゅう) 山口町 寛永十一年(1634)七月、めざす仇(かたき)の河合又五郎が有馬に入湯しているということを聞いて、又右衛門ら一行四人は丹生山田からやってきた。敵に感づかれて逃げられるのを恐れ、いきなり有馬へ入らず、この山口に宿をとったという話がある。 以下この時の様子を長谷川伸の作品『荒木又右衛門』から拾ってみると、 「近ごろのなかに一つ耳寄りな風聞が伝えられた。鳥取の家中の某が、他藩に勤めている縁者が有馬に入湯中であったので、所用のついで見舞ったところ、有馬に又五郎が四、五人の武士と一緒に入湯中であったのを図らずも知ったというのである。 数馬は勢いづいて、 『兄上、有馬へすぐ参りましょう』『うむ、行こう』と又右衛門も賛成した。それでは今まで通り一行四人が出発した。...
2026.07.01 04:02白滝姫の涙水 山口町船坂 有馬に向かい、船坂の集落を離れて一キロメートルほど進むと蓬莱峡によく似た景観の場所がある。地元では白水峡と呼び、白水川と呼ばれる川が流れ、船坂川に合流する。 それは遠い昔、奈良時代、摂津国丹生山田の住人、矢田部郡司の山田左衛門尉真勝という若者が都に出仕し、淳仁天皇(在位758-764)に仕えていた。あるとき、真勝は右大臣藤原豊成の次女、白滝姫を見染めてしまった。都随一の美人と評判の中将姫の妹で、薄衣をまとった肌はぬけるように白く、もの思いに沈んだ瞳は、底深い湖水の色をたたえるようであった。すっかり心を奪われた真勝は恋文を送り続け、その数が千束にもなったが、姫の心をとらえることはできなかった。 その頃、御所では「歌合わせ」という遊びがあり、真勝は参加を...
2026.06.30 04:24山口五郎左衛門時角 異聞録 山口五郎左衛門時角は、戦国時代末期、丸山城を拠点に、山口町とその近在を治めた3500石の在地領主として伝えられています。が、羽柴秀吉の三木城攻めの際に滅ぼされたといった諸説はあるものの、確かに実在したという記録が無いため、山口村誌、山口町誌でも、その存在や生涯を断言できていませんでした。 ところが、令和8年、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」で三木城攻めが描かれる中、山口町郷土資料館に「山口五郎左衛門の子孫」を名乗る方が来館されました。代々、そのことが受け継がれてはきたものの、詳しいことはわからないので調べるうち、郷土資料館のホームページをご覧になって来られたそうです。 そこで、本稿では、「山口五郎左衛門は実在した」ことを前提に、時系列を追って整理してみた...