公智知神社
昭和四十九年の拝殿社務所の改築工事
北六甲台住宅団地の開発に伴い、向山(天上山)の神社所有地を売却した資金で改築工事を実施した。昭和四十九年二月十一日起工、同年十月十六日竣工、総工費二億円であった。既存の木造本殿への覆を新築し、幣殿、拝殿、二階健社務所を改築した。石庭は「公」の文字をデザインしたものである。また、木の化石「珪化木」を境内に配置した。屋根銅板は氏子の奉納を募る。お砂持ちの行列を行ない、氏子の子供が参加した。
改築記念碑(境内の南東部に設置)は、坂井時忠兵庫県知事の揮毫によるものである。
三月十三日、拝殿の基礎工事中に地中深くから大量の銅銭が出土した。銭種は五十七種類、最古銭は唐の開元通宝であった。この出土銭については、その後、西宮市教育委員会が学術調査を実施し、その報告の概要は資料編に掲載している。なお、古銭は、現在西宮市郷土資料館に保存されている。
『山口町史』
開元通寳(開元通宝、かいげんつうほう)は、唐代において武徳4年(621年)に初鋳され、唐代のみならず五代十国時代まで約300年にわたって流通した貨幣。
開元通寳は秦の半両銭・漢の五銖銭の形態を継承し[、直径は8分(約24mm)である。この銭貨1枚の質量は2銖4絫、すなわち1両(大両)の1/10(約3.73g)であり、ここから質量の単位である「銭」が生まれた。「1斤=16両、1両=24銖、1銖=10絫(るい)」という従来の複雑な体系にかわり、「1斤=16両」はそのままだが、それ以下は「1両=10銭、1銭=10分、1分=10厘、1厘=10毫」という10進法の体系が使われるようになった。重量単位の銭は日本に伝来すると1匁と呼ばれるようになった。
宋代になっても、開元通寳は宋銭とともに中国で現役で流通しており、日本でも渡来銭として宋銭などとともに使われていた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
開通元寳(開元通寳) 開元通寳(開通元寳)
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