有馬郡山口村の内船坂村
祖先代々農業を業とす、氏は先代元治郎氏の長男にて慶應三年生、亡母は同村の内中野村西門太右衛門氏の令妹たり氏は明治二十年徴兵として歩兵第二十聯隊に入營し二十三年満期退營後は専ら家業に従事し、傍ら村内青年の風紀改善を圖る爲め青年會を組織し自ら其會長となり指導の任に當りたるが成績頗る良好にて合聲を博し、神社氏子総代に擧げられ船坂村區長に擧げられ山口村収入役に擧けられ同村々會議員にげられ郡會議員に擧げられたる等手腕は着々發揮せられたり、明治二十七八年日清戰役三十七八年日露戦役に従軍し其功に依り勳入等に叙し従軍記章を授興せられたり、明治三十三年より所屬村地内武庫川流域に縣廳直營事業として砂防工事起工せらるゝに際し舉げられ人夫総代として三十六年迄四ヶ年間従事したるが、其れより繼續受負事業に變りて今猶引續き該工事に従事しつゝあり、殊に船坂村は市街遠隔山間不便の地にして物資の供給、資金の運用上産業組合設立の必要なるより氏之れが主唱者として村内七十六名の賛成を得て四十二年設立認可を受け現に其組合長として萬般の事務を一身に引受け部落の進展の努力せり、斯くの如くなれば船坂部落に於ける名聲の大なるは勿論なるが亦山口村に於ける敏腕家として重視せられ、現に村政に参興せるのみか郡會議員として重きを爲せり、
君は實着温厚にして徒らに大を語らず、正確を以て見地とせり、而して人に接する篤實何人にも城壁を設けず謙譲にして八方美人主義を探り、されば何れの方面にも敵なく飲めば唄ひ舞ひ酒々落々眞に罪なき好漢たり、年齒尚春秋あり、益々奮勵健在以て公共の為に貢献を祈る。
『現代 有馬郡人物史 完』(古語)
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